読売新聞科学面記者の方の話

今日は、「科学コミュニケーション論」の授業で、読売新聞の科学面担当の記者の方のお話を聴きました。

本来ジャーナリストとは、世の中のおかしいことをおかしいと批判することが仕事だそうですが、「科学ジャーナリスト」の場合には、これに加えて、科学のことを分かりやすくかつ面白く書くことも求められていそうです。
ここが「科学ジャーナリスト」の特殊なところ。

しかし、科学を伝える、ということは大変悩ましいものがあるとおっしゃっていました。

1つめは、科学者と記者との間にギャップがあること。短い文章でかつ専門外の人にも分かりやすく書かなければならない科学の記事と、科学的な正確さを要求する科学者の間には溝があります。
また、誰に対する正確さかで「正確さ」の度合いも違ってきます。
論文の査読なら、もちろん「正確に」書きますが、一般の記事でもそれを行ったら専門外のひとにはちんぷんかんぷんです。

2つめは、専門用語とは言えない高校で習うような基礎的な用語だとしても、科学者が考えている「語句」の意味と記事を読んだ人が受けとる意味は必ずしも同じではなく、間違って解釈されてしまうということ。
これは、「水蒸気」という言葉を例に挙げて説明されていましたが、「水蒸気」は温室効果ガスですよ、という記事をたとえ書いたとしてもこの「水蒸気」が何を意味するのかを理解していない読者もいるということらしいです。「水蒸気」はやかんからでてくる湯煙のことだと思っている人がたくさんいるという話でした。
専門用語は基本的には、理解されないということを肝に銘じていた方がいいでしょう、ということでした。

特に、1つめに対して、読んでもらわなければ伝わらない、分からなかったら読んでもらえない、伝わらない、ということを強調しておられました。
それには、一般の人の理解力をあげることも解決策として考えられますが、これはあまり現実的なことではない、ということでした。
したがって、より分かりやすい記事を書かなければならないという使命を負って日々取り組んでおられるようです。


読んで楽しくなるような科学の記事が日本の新聞でもどんどんでてくれば良いなと思います。それには読む人々のもうちょっと積極的な関与もあって良いのではないかなと思います。分かりやすくも大事ですが、読んでわからなかったものはちょっと自分で調べてみるとか、わかりにくかったからもっとこういう記事を増やしてほしいとか、密にコミットメントしているという意識も大事なのではないかなと思いました。