征服者はいつか去る、しかしこの偉業は永遠である

「征服者はいつか去る、しかしこの偉業は永遠である」
こう宣言したのは、あの有名なナポレオン•ボナパルトである。

この文言は、フランスでメートルが作られたとき、1メートルの長さの基準となった大規模な子午線測量の成功を誉めたたえたものである。

メートル制定のための子午線の測量は、18世紀末のフランス革命のまっただなかという激動の時代に行われた。
その規模といい、かけた費用と年月といい、それまでとは桁外れで、だからこそ世界中の人々を納得させるだけの効力を発揮し、メートル法の波及に寄与したとも言える。

時代背景を見ると、メートル法の成立は社会の大きな変革と密接に関わっていたことがわかる。
ルネサンスから産業革命へと、どんどん科学技術が進歩し、工業化が進むなか、国際的な交易も大規模に発展していった。しかし、困ったことに、世界中ではもちろん使われている単位系が違うし、国内でも単位の統一がなされてなかったために、交易の場で不便が生じたり、いかさまをする者がでてきたりして、いたるところで不満の声があがっていた。非常にさしせまった問題として、単位の統一をしようという動きが本格化したのだった。

こんなところがメートル法の背景であるけれども、この時代はまさに科学もぐーんと発展した時代で、科学史上重要な人物がたくさん出てくる。

例えば、ラボアジエラプラスやラグランジェなどなど、挙げたらきりがないくらいだ。

この時期、特にフランスにこのような科学者が勢揃いしたのにも、時代背景が関わっているようだ。

フランスは、国としての統一が他の西欧諸国と比べて早く、フランス王政では王の下に優秀な政治家や学者を集めて議論をさせたり研究させたりする土台がいち早く整っていたようだ。(科学者という呼び名は当時はなく、学者:サバンと呼ばれていた。)
それまでは、(悪く言うと)オタク的存在だった学者が、王の下に集められ王立科学アカデミーなるものに加わる。
学者に公的な役割が与えられ、大勢で議会で議論し、科学は発展していった(ようだ)。

しかし、まもなくフランスは激動の時代を経験する。
フランス革命である。

王族貴族に関係するものはことごとくギロチンにかけられた時代である。
科学者の中では、ラボアジエが犠牲になった。
ラボアジエは、王制時代、税金の取り立て役を行っており、それが革命政府の反感をかったのだ。
取り立てた税金のいくらかは自分の懐に入れても良いというシステムだったが、自分の私利私欲のために税金を搾り取る役人が多かったせいで多くの税金取り立て人が処刑された。ラボアジエの場合、その取り立てた税金のほとんどは研究費に費やしていたのだが、処刑に対してなすすべはなかった。

ラボアジエが処刑されたとき
「切断は一瞬でも、彼と同じような頭脳を作り出すには100年かかるだろう」
と同僚がラボアジエの死を悼んだという。


続く。。。。