トランスサイエンスを考える

今日は、気候変動に関する科学コミュニケーションのシンポジウムに参加しました。

題して「トランスサイエンス研究会 科学者が提示するわかりやすさとその限界〜気候変動をめぐる問題〜

トランスサイエンスという言葉自体、私には聞き慣れない言葉だったのですが、その意味は、「科学によって問うことはできるが、科学によって答えられない問題」だそうです。つまり、科学の域を超えて(trasns-)考えなければいけない、社会との関わりで考えなければいけないという問題のこと。BSE問題や遺伝子組み換え問題、気候変動の問題などが挙げられます。


今回は、昨年の11月に起こった、Climategate事件(気候学者のメールが外部に流出して、温暖化問題は本当に科学的根拠があるのかとの批判が沸き上った事件)に対して、トランスサイエンスの問題を議論しようとするシンポジウムでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
社会心理学的な立場から、(東洋大、関谷直也先生)
1.一般の人にとっては、気候変動(環境問題)はわかりにくいものである。
2.情報を受け取る側である一般の大衆は、合理的な情報をもとめていない。たとえ、それが科学的根拠に欠けるものでも、「なんとなく」信じてしまう。
3.メディアは科学のコミュニティ内でホットな問題を取り上げられるのではなく、受け手がほしい情報を報道で伝える。


○研究者の立場から(東大、茅根創先生)はツバルの例を取り上げて、
1.研究事実が、新聞記事になるときには簡素化されている。
2.キャッチーな写真や映像が好まれる。
3.ツバルの本当の問題は、海面上昇もあるが、人為的な環境汚染などの複合的な問題を孕んでいて、単純ではない。
4.メディアと良い関係を築くことも重要


○科学コミュニケーションの立場から(東大、横山広美先生)、
1.科学の問題については、新聞などの両論併記の記事は、あまりよい伝達方法ではない場合もある。(スパコンを例として)
2.メディアで取り上げられる際に、それが一仮説にすぎないものなのか、または研究者コミュニティの中で信頼できる事実とされているのか、といったことが明確にされないことは問題である。
3.科学を報道するときは、科学の不確実性についても言及すべきだ。科学には限界があること伝えるべきだ。

※ここに書いた先生方の講演のまとめは、私の個人的のまとめなので、各々の講演者の先生方の意図するところと異なる可能性もあります。そのへんはご了承ください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


特に、気候変動については、温暖化を支持する専門家(気象や地球物理学の研究者)がほとんどです。
しかし、一部には温暖化に懐疑的な研究者も数は少数だけれども存在します。
反論者がいるという構図は、なにも温暖化に限ったことではなく、科学の世界では普通の構図なのです。

しかし、温暖化は、多くの研究者が支持し、研究者コミュニティの中ですでに認めれている事実であるということを知っている一般の人は少ないのではないでしょうか。

むしろ、「温暖化はうそだ」などというキャッチーな文言に惹かれて、「懐疑論」の方が正しいという見方をする人も多いのではないでしょうか。

懐疑論で主張されている事柄については、まだ科学的根拠はありません。十分に研究された事実ではないのです。

議論の中で印象的だったのが、研究者の倫理観についての議論でした。つまり、研究者は何を目的に研究しているのか、研究成果をどこにむけてアウトプットすべきなのか、についてです。
気候変動を解明することの目的は何でしょうか。何十年、年百年先の人類のためといったら大げさでしょうか。そして、温暖化対策としての二酸化炭素削減は、何十年後かの人間社会のため(先進国のため)に行わなければいけない対策です。「地球のため」というあいまいな表現では、納得しない人もいるでしょう。アウトプットをする場合に、誰にむけて伝えるのかを明確にし、どのように伝えて行くのが良いかを議論していくことは重要なのだなと感じました。

現在私ができることと言えば、知っている知識を少しずつ伝えていくしかありませんが、社会と研究者との風通しが良くなることを願わずにはいられません。